BODY SPROUT 20周年連載 第十話 「2015年 BODY SPROUT誕生。そして再び起きた“波乱”」

2006年に一軒の整骨院から始まった夫の事業は、そのうち会社を立ち上げたましが、共同経営者の不正が発覚し精算しました。
負債を負って、ゼロどころかマイナスからのリスタートをしたのが、2011年震災後。
そこから個人事業主に戻り地道にまた土台の立て直しを行ってきました。
2012年には一般社団法人日本施術マイスター協会を立ち上げ、「猫背矯正」の施術ができる先生を増やし
それぞれの院で患者様を痛みから解放する
これを全国に広めることで治る環境づくりを進めてきました。

そして多動であり、新しいことが大好きな代表はまた何かを企んでいるようでした。

また、法人化すると。

今度こそ「治る環境づくり」を世に広めるためにしっかりと活動する意思表示として、会社をつくることとなりました。

その頃たまたま知り合ったネーミング開発の方に、社名について相談に行きました。
体を健康にする意味で「ボディ」(体)と、新しいことをどんどん世に排出していく意味を示す「スプラウト」(発芽)。
その醸し出す「音」や「響き」がもたらす心理的影響など、教えてくださいました。

子の名付けをする時以上に時間をかけて、「ボディスプラウト」と命名いたしました。

2015年当時の名簿を確認しましたら、従業員は20名。
拠点は、宮前まちの整骨院、ビオラ整骨院(向ヶ丘遊園北口)、本部(整骨院並びのオフィス)の3つでした。

この頃は、整骨院の店舗経営を主軸に置きつつ、社団で全国に猫背矯正というコンテンツを広める活動をしていました。
多店舗経営、と言うと、組織になってきます。その時に必ず発生するのが、人の問題です。
先輩整骨院経営者による社員研修を行ったり、社労士に入っていただいて労務相談を第三者視点でみていただくということもしました。

しかし、どんなに策を講じているつもりでも、起こる時には起こるのです。
声が大きく主張が強いスタッフの反乱が起きました。
よくよく話を聴いてみると、誤解や思い込みの部分も多かったのですが、もう戻れないほどのところまで思い込みが進んでしまっていたので手遅れでした。

もっと早く気づき日頃からコミュニケーションをより密に取っていればどうにかなったものだったのか、いつももっと何かできることがあったのではないか、と思ってしまいます。 
それでも、前に進まねばならない。代表はその点、切り替えがとても早いのです。

確かに、いつまでも悩み反省しているよりも次の策、次の一手に進まねば会社は停滞してしまいます。
リーダーとは常に前進力が強くあらねばならないのですね。

2025年にビオラ整骨院は閉じる運びとなりました。
整骨院の店舗展開よりも異なる方法での事業展開を、代表は企み始めていたのです。

さて、我が家の話をします。

2015年度の子供たちは、長男 中3、次男 小5、長女 小3、次女 年長、という構成でした。
夫は子ども行事にほとんど参加しませんでしたが、唯一、小学校の運動会だけは参加していたようです。(記憶力なく、当時のブログに記録あり)

小学校の運動会は、一年に一回、父としての役割を果たす日。
入学式、授業参観、学習発表会、卒業式、保育園の運動会などは一切仕事のため来られない父だが、運動会だけは、雨順延のお陰もあり、これまで9年連続出席。
この年は、次男が初めてリレー選手に手を挙げてくれて(私が手を挙げてくれと懇願した)、いつも大好きで白熱するリレー戦で、
初めて我が子が出場した感動的な運動会でした。
翌年、6年生の最後の運動会で、次男はリレーでアンカーを走り、チーム自体がとても速かったので優勝したのです!(親バカ談すみません)