BODY SPROUT 20周年連載 第三話 「2008年 分院開院。そして、院長が突然消えた・・・」

本題に入る前に、まず、当時の状況からお話ししたいと思います。

2008年4月、早くも2院目の整骨院をオープンしました。もう、私には目が回るスピードです。
しかも、開業した半年後に資金ショートし、3人目の子どもが生後5ヶ月の時に近隣企業で急遽フルタイム仕事を開始したゆえ、保育園も上の子達とは別の園に通って二箇所送迎している状態でした。

2007年4月に新年度を迎えて、長女も兄たちと同じ保育園に、1歳児クラスに入れることを期待するも、叶わず。別々の保育園送迎生活続行が決定したころでもありました。
それだけでなく、長男が小学校に入学したので、長男:小学校、次男:保育園1、長女:保育園2、幼い子どもたちが3つの異なる場所で日中過ごす生活です。
送り迎えも3箇所です。

私の中ではこの時が恐らく、人生の中で最もキツイ時期だったかもしれません。どのように毎日を生きていたのか、記憶もままなりません。

覚えている一瞬のシーンは、お風呂の中で、長男に湯船の中で、赤ちゃんの頭を持っていてもらい(babyの体は浮力で浮いている)「頭だけ持っていてね、息できるように、見ていてね」と声をかけて、その一瞬の隙に私は急いで髪の毛を洗ったりしている図です。6歳児も戦力化しないと生活できないレベルでした。(夫は常に不在がデフォルト)

そして私は、「どん底」を文字通り表すような交通事故を起こしました。人身事故です。
バイクに乗っていた相手は運よく運動神経の良い方で、反対車線に吹っ飛ばされた後に俊敏に路肩に移動してくださったお蔭様で私は犯罪者にならずに済んだのです。
しかし、大怪我をされました。私はその後、数年間運転をしない生活をしました。送迎は全て徒歩になりました。
相手の方が怪我から回復されるまでお見舞いに通いました。本当に不幸中の幸いでした。
やはり神様ご先祖様に見守られていることを確認できた出来事でした。「気持ちを改めよ」という強いメッセージを受け取りました。

さて、本題に入ります。

2006年5月に最初の整骨院を開業し、半年で資金ショートし、スタッフの入れ替えも激しく、安定しているとは到底言えない状況でしたが、2008年4月にもう2院目の開業と言う運びになりました。
院長に抜擢されたのは、真面目なスタッフでした。
彼の一案で整骨院の名前も命名したのでした。向ヶ丘遊園駅 北口目の前にオープンした、ビオラ整骨院です。
その後、向ヶ丘遊園駅は大開発が行われて来ましたので、昔から並ぶ商店街は高層ビルに一層されつつあり、今では当時とは全く異なる街並みになっています。(遠い目)

これも意思疎通の難しさを感じる案件なのですが、代表が伝えることをおそらく院長になった彼は理解しきれず、質問の方法も見出すことができなかったのでしょう。
全てを放棄して言葉もなくある日、突然消えたのです。そのような辛い状況でいたと言うことに気づいてあげることが出来ず、申し訳なく感じます。

次回、4度目の出産・・・そして、「その人、絶対怪しいよ」をお送りします。