夫が開業をした2006年5月は、私にとっては第三子の出産月でした。
「決めた。2006年5月に開業する。」という言葉が発っせられたのは2005年晩夏でした。夫の開業発言を聞いたときの私の感想としては、「随分急だな。ほんまかいな。」でした(心の声)。
そしてその数週間後に、第三子妊娠が発覚したのでした。
第三子が生まれる予定日が開業予定と同月に重なるという展開となり、開業計画を少しはズラすのではないか、と勝手に思い込んでいました。
だ、だって、どう考えても、無理ではありませんか!?
少なくとも当時の私は、フルタイム仕事の上に2人の育児もワンオペでしたし、これ以上の育児負担に加え夫の開業サポートは到底無理、それどころか、こちらが少しは手伝いを期待したい心情でしたから。想像も出来ない未知過ぎる領域でした。
胎児が順調に育っていくに従って、定期的に確認していました。「開業するって言っていたけど、出産予定日と重なるから、難しいよね。」何度確認しても、「いや、開業時期は変えない。絶対実行する。」の一点張りでした。
この議題において何度議論して論争したか分かりません。胎教には間違いなく良くなかったと思いますし、上のボーイズにも良い影響はあるはずがありません。
あまりにも折れないので、ついに私も不本意な発言をしてしまいました。
「それだったら、私、何も手伝えないからね。こっちが手伝って欲しいくらいな状況なんだから。何も出来ないからね。それでもやるんだね?」
今思えば、私はずっと夫のやりたいことを何かしら手伝いたい、応援したい、と思っていたのでしょうね。
ちょうど夫が人生の挑戦を仕掛けるそのタイミングで私は自分の体が自分の意のままにならない最重状態となり、乳飲子が3人に増える、という極めて厳しい状態になることが悔しかったのかもしれません。
「思い通りに身軽に動き回れない」ということが私の子育て期を通して、1番のストレス要因でした。
「手伝わなくていいよ。」と言われていたので、素直に本当に子育てに専念すれば良かったのです。しかし、私は頼まれてもいないのに、手伝わずに居られませんでした。
開業当初から自力で整骨院に通うことが困難な方のために無料送迎をずっと行って来ました。
当初もパートさんに患者様の送迎をお願いしていたのですが、パートさんもお子さんがいらして、ご家族に体調不良者が出るとお休みせざるを得ません。
そうすると、せっかく予約を入れてくださっている送迎で来院予定の患者様が来られなくなってしまうではありませんか。
私はそれを知った上で動かずにはいられませんでした。頭で考えるより先に体が動いてしまうのです。
生後3週間の長女を当時流行っていたベビースリングに入れて、患者様の送迎を行いました。
運よくスヤスヤ眠る娘、「良かった、気付かれずに送迎できた」と思った最後の瞬間に、「ふにゃ」と赤子にしか出せない声が漏れてしまい、患者様を驚かせてしまいました。
そして給与計算や銀行の入出金などは、開業当初からずっと行って来ました。
「やらなくていいよ」と言われていたのに、なぜやってしまっていたのでしょう・・・悔しいですね。
資金面に関しましても、開業資金ということで事業資金の借入をしていました。
私には想像も出来ない大きな金額でしたが、ナント、その全てが開業後半年も経たないうちに底を尽きたのです!!
私は心底焦りました。
3人目の子どもなので、1年間は仕事をせず、育児休業を楽しみたいと思っていました。
ただこの資金が底をついた瞬間に私は即座に就職活動をし、生後5ヶ月の娘を保育園に預ける手配も行い、2006年10月から近所の会社に雇い入れてもらいました。
そうする他にない、と瞬発力で動いたこの行動でしたが、就職が決まった事後報告をした時に夫に、「そんなことしなくても良かったのに。立て直せるのだから。」と言われた時にはガッカリしました。
とにかく冷や汗もんの時代でした。
極め付けに3人目の子どもは0歳児、年度の途中ということで兄たちと同じ保育園には空きが無く、別の保育園に預けねばならない状況でした。
2箇所の保育園送迎と9:00-17:00時短勤務です。もちろん、夫は整骨院の仕事に早朝から深夜までつきっきり、なんなら泊まり込みで仕事をしていたので正にシングルマザー状態でした。
母乳育児でしたので昼間は張ってしまって非常に辛かったです。仕事どころではないこんなカオスな私を雇い入れてくださった会社に感謝です。
資金が底をついた整骨院は、練り上げた作戦が当たって、なんとか低空飛行を続けられていました。
私は、本当に夫の事業のことは何も気にせず、育児に専念していれば良かったのかもしれません。しかしそれは結果論です。
私は考えるよりも先に行動してしまうタイプなので、ひたすら突っ走っていたあの若かりし頃でした。
3人目が生まれてからの記憶はほぼありません。それだけ生き抜くことに、幼子を生かせておくのに必死だったのだと思います。
あの頃の自分に言ってやりたい、「ようやったな。みんな、生きてるぞ。」
夫も同じくらいに修羅場っていたことでしょう。
そんなこんなで、20年間続く、アドベンチャーワールドが幕開けしたのでした。
次回、“仕事ができない新人”が教えてくれたこと
「決めた。2006年5月に開業する。」という言葉が発っせられたのは2005年晩夏でした。夫の開業発言を聞いたときの私の感想としては、「随分急だな。ほんまかいな。」でした(心の声)。
そしてその数週間後に、第三子妊娠が発覚したのでした。
第三子が生まれる予定日が開業予定と同月に重なるという展開となり、開業計画を少しはズラすのではないか、と勝手に思い込んでいました。
だ、だって、どう考えても、無理ではありませんか!?
少なくとも当時の私は、フルタイム仕事の上に2人の育児もワンオペでしたし、これ以上の育児負担に加え夫の開業サポートは到底無理、それどころか、こちらが少しは手伝いを期待したい心情でしたから。想像も出来ない未知過ぎる領域でした。
胎児が順調に育っていくに従って、定期的に確認していました。「開業するって言っていたけど、出産予定日と重なるから、難しいよね。」何度確認しても、「いや、開業時期は変えない。絶対実行する。」の一点張りでした。
この議題において何度議論して論争したか分かりません。胎教には間違いなく良くなかったと思いますし、上のボーイズにも良い影響はあるはずがありません。
あまりにも折れないので、ついに私も不本意な発言をしてしまいました。
「それだったら、私、何も手伝えないからね。こっちが手伝って欲しいくらいな状況なんだから。何も出来ないからね。それでもやるんだね?」
今思えば、私はずっと夫のやりたいことを何かしら手伝いたい、応援したい、と思っていたのでしょうね。
ちょうど夫が人生の挑戦を仕掛けるそのタイミングで私は自分の体が自分の意のままにならない最重状態となり、乳飲子が3人に増える、という極めて厳しい状態になることが悔しかったのかもしれません。
「思い通りに身軽に動き回れない」ということが私の子育て期を通して、1番のストレス要因でした。
「手伝わなくていいよ。」と言われていたので、素直に本当に子育てに専念すれば良かったのです。しかし、私は頼まれてもいないのに、手伝わずに居られませんでした。
開業当初から自力で整骨院に通うことが困難な方のために無料送迎をずっと行って来ました。
当初もパートさんに患者様の送迎をお願いしていたのですが、パートさんもお子さんがいらして、ご家族に体調不良者が出るとお休みせざるを得ません。
そうすると、せっかく予約を入れてくださっている送迎で来院予定の患者様が来られなくなってしまうではありませんか。
私はそれを知った上で動かずにはいられませんでした。頭で考えるより先に体が動いてしまうのです。
生後3週間の長女を当時流行っていたベビースリングに入れて、患者様の送迎を行いました。
運よくスヤスヤ眠る娘、「良かった、気付かれずに送迎できた」と思った最後の瞬間に、「ふにゃ」と赤子にしか出せない声が漏れてしまい、患者様を驚かせてしまいました。
そして給与計算や銀行の入出金などは、開業当初からずっと行って来ました。
「やらなくていいよ」と言われていたのに、なぜやってしまっていたのでしょう・・・悔しいですね。
資金面に関しましても、開業資金ということで事業資金の借入をしていました。
私には想像も出来ない大きな金額でしたが、ナント、その全てが開業後半年も経たないうちに底を尽きたのです!!
私は心底焦りました。
3人目の子どもなので、1年間は仕事をせず、育児休業を楽しみたいと思っていました。
ただこの資金が底をついた瞬間に私は即座に就職活動をし、生後5ヶ月の娘を保育園に預ける手配も行い、2006年10月から近所の会社に雇い入れてもらいました。
そうする他にない、と瞬発力で動いたこの行動でしたが、就職が決まった事後報告をした時に夫に、「そんなことしなくても良かったのに。立て直せるのだから。」と言われた時にはガッカリしました。
とにかく冷や汗もんの時代でした。
極め付けに3人目の子どもは0歳児、年度の途中ということで兄たちと同じ保育園には空きが無く、別の保育園に預けねばならない状況でした。
2箇所の保育園送迎と9:00-17:00時短勤務です。もちろん、夫は整骨院の仕事に早朝から深夜までつきっきり、なんなら泊まり込みで仕事をしていたので正にシングルマザー状態でした。
母乳育児でしたので昼間は張ってしまって非常に辛かったです。仕事どころではないこんなカオスな私を雇い入れてくださった会社に感謝です。
資金が底をついた整骨院は、練り上げた作戦が当たって、なんとか低空飛行を続けられていました。
私は、本当に夫の事業のことは何も気にせず、育児に専念していれば良かったのかもしれません。しかしそれは結果論です。
私は考えるよりも先に行動してしまうタイプなので、ひたすら突っ走っていたあの若かりし頃でした。
3人目が生まれてからの記憶はほぼありません。それだけ生き抜くことに、幼子を生かせておくのに必死だったのだと思います。
あの頃の自分に言ってやりたい、「ようやったな。みんな、生きてるぞ。」
夫も同じくらいに修羅場っていたことでしょう。
そんなこんなで、20年間続く、アドベンチャーワールドが幕開けしたのでした。
次回、“仕事ができない新人”が教えてくれたこと